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〝生きる〟
ことには、お金がかかる。
自分の欲しい服や、食べたいもの、女子であれば(最近は男子も)メイク用品、生活用品、住まいに関わる金銭や携帯代や、趣味に使う金銭。
この中で使わなくても生きている、というお金がある人もいるかとは思う。
その人はその人の生き方があって、例に挙げた物を見にまとわなければ「生きていけない!」って人だっている。
人それぞれの価値観の違い。
なら、一方に〝死ぬ〟ことは、お金がかからないのか、と。
例えば駅のホームで飛び降りしたら身内に膨大な金額を請求されるし、車にわざと引かれたとしても引いた人の心には一生の傷を背負わせ、苦しませてしまう。
なら家で首吊りや自分自身の動脈を切る方法なら、と思えば、そこが借りてる住まいであればその後人は住みにくくなり、大家へ大迷惑がかかり、きっと身内にも金銭を要求されることとなるだろう。
私がこうして人としてこの世界に生まれ、存在してしまった以上、金銭とは離れられない。
何をするにも金銭が発生し、死ぬことさえも許されない
そしてそれと共に、死ぬとは必ずしも誰かの心に一時の苦しみを贈ることとなる。
例えば。
私が悪かったとし、誰かと喧嘩をしたとする。
その後に私が何らかの形で死んでしまったら
その人が悪くなかったとしても、その人の心には充分な重い苦しみを背負わせることとなるだろう。
私が悪かったとしても。
これは喧嘩をした、という理由でなく、「ただ死ぬ前に電話をした人」「一言二言を交わした人」も、苦しむことだろう。
自分が何かをしたのではないか、と。
もちろん思いあたることなどないのかもしれない。
至って良好な仲であれば。
けれども、「あの時ああいう言葉をかければよかった、かけなければよかった」という出来事を、記憶を辿り掘り起こしてしまうのだと思う。
本当にその人が悪くなかったとしても、きっと深い傷を与えてしまうだろう。
その傷は時間が解決してくれるかもしれない。
けれども、一度背負わせてしまった傷はもう元には修復できない。
自分の気づかないところで、ずっと抱いてしまうものである、と、私は思う。
現に私だってそうだ。
あの時ああしていれば、こうしていれば。
こんなこといわなければ、しなければ、と。
考えすぎなのかもしれない。
けれども。
こうやって考えるしかないんだ。
そういう生き方、考え方しかしてこれなかったから。
この先変えることなんてできないかもしれない。
強く強く、そう思う。
そんな自分が怖くて仕方が無い。
憧れていた綺麗な大人になりたいというビジョンも、何もかもが見えない。
目をつぶれば真っ黒な様に、私の行く先も真っ黒なんだ。
ああ、なら、死んでしまいたい、消えてしまいたい。
そう何度も思ったし、これからも思い続ける。
だって苦しいんだもん、痛いんだもん。
生きているのが怖いとさえ思ってしまうよ。
弱い人間と笑うならば笑ってくれ、けれども笑われたくない。
私はこれで精一杯なんだ。
これ以上私の生き方を、生きている世界を、否定しないでくれ。
怖い、辛い、苦しい、悲しい。
そして、私自身がその様な気持ちにさせてしまった全ての人に心から謝りたい。
許されないということは分かっている。
けれど、弱くて醜い私だから、今日も許しが欲しく、感情を表に出して泣いてしまうんだ。